それは、最初はきれいな花だった。
白くてふわふわで、ラッパみたいな形をしていて、匂いは甘くて、お母さんの香水にちょっと似ていた。

「ねえ見て、天使の花だって」

最初にそう言ったのは、ミオちゃんだった。
学校の帰り道、空き地のすみっこで見つけたその花を、彼女はじっと見ていた。

名前は「エンジェルトランペット」。
大人のひとが教えてくれた。
でも「毒があるから触っちゃだめ」とも言われた。

それでも、ミオちゃんは言った。
「毒があるのに、こんなに綺麗なんだね」

次の日には、もう3本に増えていた。
その次の日には、10本。
一週間後には、町内会の看板の裏にも咲いていた。

でも、大人は気づかないみたいだった。

「なんか最近、お母さんがぼーっとしてるの」

「うちのお兄ちゃんも。ごはん食べてるのに、テレビ見て笑ってないの」

わたしたちは、小さい声でそんな話をした。
でも話すほど、ミオちゃんの目はきらきらしていた。

「この花、音がするよ」

ミオちゃんがそう言った夜、わたしも聞こえた。
静かな夜、風もないのに、どこか遠くから——
「ふぁー……」という柔らかな音。
ラッパのようでもあり、息のようでもあった。

でもその音は、聞くたびに近くなる。
気がつけば、隣の家からも聞こえていた。

花はどんどん咲き続けていた。
地面から、壁から、車の隙間から。
誰も植えていないのに、あらゆるところに“咲いてしまう”。

町は少しずつ静かになっていった。
パン屋の甘さはくどくなり、バスの時刻は狂い、
誰も「おかしい」とは言わなかった。

「ねえ、ミオちゃん。これ……きれいだけど、こわいかも」

そう言ったとき、ミオちゃんは少しだけ笑った。

「でも、もう笑っちゃってるよ」

え……?と思って、私は彼女を見た。
でもその笑顔はいつも通りで。

ふと、風が吹いて、わたしの頬に冷たいものが触れた。

気づくと、わたしも——

笑っていた。

知らないうちに、花のかたちをしたような口元で。