はじめに声が聞こえたのは、金曜日の朝四時。
「ワン」
屋根の上の黒い影が、犬のように吠えた。

誰かが動画を撮ってSNSに上げた。
すぐにバズり、「#遠吠えカラス」がトレンド入り。
「動物界のバグ」「新種か?」「鳴きマネの天才」と騒がれ、翌日には報道ヘリまで飛んできた。

でも、三日目から“変化”が出た。
そのカラスに近づこうとした若者が、突然、脚を骨折。
四日目、ドローンで接近したチャンネル主が、配信中に失神。
五日目には、カラスがいた屋根そのものが崩れ落ちた。

偶然とは思えなかった。
だけど人々は「呪い系インフルエンサー」として、さらに注目した。
「カラスに触れたらどうなるか?」という企画を立てる者まで現れた。

だが、誰一人カラスには近づけなかった。
見えない壁のような空気に押し返される。
冷たい風が吹き、カメラが故障し、人の言葉がノイズに変わった。

「それ、警告じゃないか?」と呟いた人もいた。
だが、誰も耳を貸さない。
不安は、娯楽にすり替えられていく。

七日目、町の空に黒いカラスが数百羽、現れた。
一斉に「ワン」と吠えた。
今度は誰も笑わなかった。

家電が止まり、Wi-Fiが消え、空が一瞬だけ反転した。
不安という言葉が、意味を持って町全体に沈み込んだ。

やがて一羽、また一羽と、遠吠えの主に吸い込まれるように集まり始めた。
その影が、町の真上に巨大な黒い渦となって浮かぶ。

「最初に気づいてたのは……カラスだったんだな」

誰かがそう言ったときには、もう町の色が変わっていた。

カラスは、不安を形にした存在だったのだ。
そして人々は、不安を“面白い”で塗りつぶそうとした。

最後の遠吠えは、耳ではなく、心に直接響いた。

「ワン」

それはまるで、「もう遅い」と言っているようだった。