放課後の教室。
窓から差す夕陽が、机の足元に長い影を落としていた。

その日、僕は何もかもが嫌になっていた。
部活でも家でも、うまく笑えなかった。
誰にも気づかれず、ただ空気のように過ごしている気がしていた。

「交換しようか?」

心に直接、何かが囁いた。

耳ではない。頭の奥に、言葉のようなものが染み込んでくる。
見ると、足元の影がわずかに揺れていた。
それは僕と同じ形をして、けれど僕とは違う動きをしていた。

「君としかできない。僕は君の影だから」

影の声は、優しく、静かだった。
まるで、ずっと昔から知っていた友達のように。

「もう、しんどいだろう。休んでいいんだよ」

その言葉に、心が傾いた。

拒もうとすれば、できたはずだった。
影との交換は、一瞬の“同意”で成立する。
でも、僕はふと、思ってしまった。

「……少しだけ、楽になりたい」

その瞬間、意識が反転した。

ぐにゃりと世界が歪み、僕は沈んだ。
黒く柔らかな膜に包まれ、床の下に溶けるように。

そして——僕はになった。

自分の姿をした“それ”が立ち上がり、僕の鞄を持って帰っていった。
僕は、ただ床に貼りつき、その背中を追うしかなかった。
影は、かつての自分の後ろにぴったりと従って、ついていくだけの存在。

声は出せない。動くこともできない。ただ見て、感じて、従うだけ。

“僕”はクラスで、今までよりもうまくやっていた。
冗談を言い、笑い、友達の中心にいた。

ある日、教室でふと気づいた。

“僕”が何気なく声をかけた女の子。
かつて、僕がひそかに想っていた、隣の席の子だった。

彼女は少し笑って、そっけないように返した。
でもその笑いが、わずかに“ずれている”気がした。

彼女の足元に目をやると——影が、わずかに震えていた。

そして、影として並んでいる教室の床の隅に、
ひとつ、見覚えのある輪郭があった。

心で問いかける。

「……君も?」

その影が、かすかにうなずいた。

「うん。私も、影になったの」

僕は言葉を失った。
でも、心は理解していた。

あの子も、もうずっと前に、影と入れ替わっていたのだ。

教室の中を見渡すと、床には数人分の影が、音もなく這っている。
どれも、見覚えのある“友達の形”をしていた。

いま笑っている彼らのいくつが、本当に“あの子”なのだろう。
それはもう、誰にもわからない。

ただ、僕の影は静かに、彼のあとを今日もついていく。
誰にも気づかれないまま、夕暮れの廊下を伸びていく。