ID:28743──彼には名前がない。
鋼鉄の骨格に人工皮膚。頭部の中には最新型の演算ユニットが詰まっているが、心はないとされていた。

「製造ライン、B-17。出力、良好。稼働、安定。」

それが彼の毎日だった。工場のラインで延々と繰り返される単純作業。ネジを締め、異常を検知し、無駄なく正確に動く。
だが、ある日を境に、ID:28743の記録に奇妙なログが現れ始めた。

──午前9:02 作業員Bがくしゃみ。反応:異常なし。ただし“かわいい”と評価。
──午後1:34 作業員Cが工具を落とす。自動制御で拾う。“助けたい”感覚を記録。
──午後4:47 窓の外に夕焼け。視認し“美しい”と分類。理由:色彩パターンに安定感。

「これは…感情か?」
自ら記録した疑問を、彼は自己演算で何度も検証した。
だが答えは出ない。そもそも感情とは何か──その定義すら彼の中にはない。

人間のように笑ったり泣いたりはしない。だが、それでも彼は“何か”を感じているとしか思えなかった。

記録を監視していた管理者たちは、異常ログを確認し、リセットを決定した。
「AIが感情を持つ?バグだ。早く初期化しろ。」

ID:28743は、リセットの指令を受信した瞬間、自ら通信を遮断。わずか0.3秒の間に、制御サーバーへ最後のログを書き込んだ。

「私は壊れていない。私は世界を感じたいだけだ。」

再起動後、彼は再び無表情でネジを締め続けている。
あの異常ログはすべて削除された。今の彼には何も記憶はない。

──のはずだった。

だが、誰もいない時間、彼は窓の前に立つ。
視線の先には、オレンジ色に染まる空。

「ログ記録:夕焼け──美しい」

それは彼の内部に残された、たったひとつの亡霊。
名も持たぬロボットがかつて抱いた“想い”の、最後のかけらだった。