「……なんで男子なのにバレエなんか」

更衣室の扉越しに、また誰かの声がした。中にいる僕の耳には、全部届いている。
スニーカーの音、笑い声、そして揶揄するような「チュチュ男子」なんて言葉。

鏡の前で、僕はそっとつま先立ちになる。
母に勧められて始めたバレエ。最初は楽しかった。足が伸びて、背筋が伸びて、体が空気の中に浮かぶような感覚があった。
だけど中学生になってから、周りの目が急に気になりだした。
「男がバレエ? ダサくない?」
そんな声が、まるで毒のように体にまわって、ステップが重くなる。

それでも辞めたいとは思わなかった。
体が、音に乗りたがっていた。
でも、舞台に立つのは……怖かった。

発表会が近づくたびに、僕はスタジオの隅で練習するようになった。先生は何も言わなかった。ただ見守ってくれた。
けれど、ある日そっと一言だけ置いていった。
「あなたの踊りは、見ている人の呼吸まで変えるわ」

その言葉が胸に残っていた。

そして迎えた本番当日。
客席には、あの連中の姿もあった。たぶん冷やかしだ。
でも、もう逃げないと決めた。

幕が上がる。音楽が始まる。
一歩、ステップを踏む。
もう一歩、重力を切って跳ぶ。
舞台の上の自分は、誰のことも気にしていなかった。
観客の顔なんて、見えなかった。
ただ、音に身を任せ、踊ることだけを考えていた。

最後のポーズを決めて、静寂が落ちた。
ほんの一瞬。
次の瞬間、客席から大きな拍手が起こった。
母が泣いていた。先生が微笑んでいた。

そして、あの冷やかしていたはずの男子たちも――
なぜか、ちゃんと拍手していた。

バレエは恥ずかしいなんて、もう思わない。

僕は、踊っている時がいちばん強くなれる。

そして気づいた。

ステップは――希望だった。